2012年08月23日
チャリでフラフラ~
8月某日(忘れた)、近所を長男と散歩。
いわゆるポタリングてやつですか。
なんでも言葉があるもんだ。
いわゆるポタリングてやつですか。
なんでも言葉があるもんだ。
我が家のケーブルTVはBANBANテレビという東はりま地域のケーブル局で、
昔の番組をアーカイブなどと言って平気で12年前の地域情報番組などを流している
超ローカル局の独自番組が多々ある。
その中で何故か地元を車で走るだけ~の30分番組がある。
ナレーションも無い、当時の音楽が一緒に流れてくるだけのある意味ホンマモンの
ロードムービーだ。
ぼさーっと眺めていると加古川沿いに北上し、志方方面へ廻って行く映像だったので、
その道を散歩することにした。
長男の愛車は今年通学用に買ったあさひの「まぐにふぁす」だ。
けっこう重いが中学生ならちょうど良い。ついでに財布にちょうど良い。そっちのほうが大きいが・・・
ワシのほうはオークションで格安購入できたおしゃれ自転車の代名詞「ルイガノ」のシャッセ。
自分で買ったが今は実はもっぱら妻の通勤用がメインの役割となっているのだが。
たまには自分でも乗るぞい、と。
ふらふら~と池尻橋に到着し、橋を渡り加古川右岸から河川敷きへ降りてみる。
浅瀬に小さな魚の群れが見える。掴めそうでつかめない。
水筒を忘れて来たので自販機でやたらに取水する長男。
熱中症になられては困るので買ってやる。
長男はスポーツ飲料とレモン系さっぱり飲料とリアルゴールド風味が好物。
しかしこの河川敷は大雨で水に浸かるので自販機が無い。
自分も喉が渇いたので自販機を求めて大堰の橋を渡り、上荘橋へ。
ここの大堰の橋は車止めがあるので広いけど車は渡れない。
とても自転車には気持ちの良い橋だが、左岸に渡った後、東へ降りて行くルートが無いのがつらい。
結局交通量の多い道路を北上して上荘橋まで走る。
たいした距離ではないけど横をダンプやトラックも走るし歩道は無いし。
中学一年坊主を連れ歩くおっさんとしては非常に気を使うのだ。
危ないので土手を降り八幡・厄神方面へ。
車で近くは通るけどチャリだとどんどん村のなかへ入っていけるのが楽しい。
このあたりは死んだワシの祖母の生まれ故郷なので、知らないけれど懐かしい気がするなあ。
昔はここから我が家まで歩いて嫁入りしたらしい。
たまに実家に戻り、帰りが遅くなった時に、厄神近くで狐にばかされたことがあると祖母が言ってたのを思い出すなあ。
それくらい寂しい道のりであったらしい。
確かにワシが小学生の頃、遠足でよく厄神へ行ったことがあった。
夜は怖いだろうなーと思える不気味さが道中にあったのを思い出す。
今はそんな狭い道にさえアスファルトが敷かれて不気味さなど微塵もないが。
自転車を走らせていると自販機がワッショイワッショイ行く手に現れてくる。
さっき飲んだわバカたれ!などと言いつつ意味不明な冗談や物マネをしながら2人で走る。
まあこういう無意味そうな時間がなんだか我ら親子にとって良いのだろうなぁ
長男は、「父ちゃん、暇やしチャリのってどっか行こ!」
などと誘ってくる。
少なくとも今の長男にはこれが楽しい時間であると推察できる。
ワシ自身も楽しいのでこの先振り返ったときに彼の思い出の一つになればよいナと思ったりする。
汗をかきかき父ちゃんとこの辺うろついたなあ、
などど思いいだしてくれるとワシも死んでからうかばれた気がするだろう。
さてここからどこへ行くか?
ワシのLIFEゲージはあからさまにMAX値が低いのでよそ様の自転車乗りの人々のように遠くへは行けない。
なので、手短にさっきから名前の出ている厄神さん、つまりこの辺の厄除け八幡宮へ行ってみた。
正式には宗佐厄神八幡神社というらしい。
ここにも幼い頃の思い出がある。
毎年冬に厄神さんに出店がイッパイ並ぶ日がある
HPによると2月の厄除け大祭らしい。
子供には行事など関係なく、とにかくお店がいっぱい並ぶと嬉しいのだ。
田舎育ちの少年ワシにとっては、たくさんのお店があった、ゴージャスな祭りだった。
両親に連れられて歩いていると参道の角になんだかボヤ~っとそこらへんだけ暗い、
けれど薄白い空間があり、何故か眼がそこにいく。
3人くらいの人が立っていた、と思う。いや1人はしゃがんでいたかな。
黄ばんだ軍服を身にまとい、不精髭を生やしていた。
何も言わない。ただそこにいるだけ。
片腕、片足を失った人たち。
今思えば傷痍軍人の人たちが生活に困り人々に恵を請うていたんだなあとわかる。
いや時期的にはかなりの年月が経っているのでどこかに人が集まることがあれば
まさに幽霊のように現れ物乞いしていただけのなかもしれない。
そういう商売の仕方になっていたのかもしれない。
しかし子供ながら場違いな雰囲気に興味をそそられてしまうんだな。
子供なのでどうしてもジジジジジィ・・・・と見てしまう。
我が父親に「あまり見るな!」と注意されたのも覚えている。
なんだか不思議な光景として記憶に残っているのである。
そんな思い出に浸りながらお参りをした。
暑いのでだれもいない。
長男におみくじを引かせてみたらなんと大吉。
あとに引くワシが連続大吉の可能性は限り無く低いと判断し、ひくのやめた。
厄除けの神さんなのでこんな掲示があった。
なんとなく知ってたがどうやら来年は厄年のようである。
元来信心深い人間ではなく長男と妻曰く、
「父ちゃんは邪鬼が取りついてるから」
となにかにつけて言われるているから厄とか全く気にしてない。
実際、京都などに寺社観光に行きますとお堂に入るのがツライ。
大きなお堂の中の空気が嫌いなのである。
みんながじっくり見ていても真っ先に出て行ってしまうので、仏様に懲らしめられ、
踏みつけられてしまっている邪鬼に違いないと家族は言うのである。
暑いので厄神をあとにして帰ることにしたが、我が家に帰るためにはどうしても坂を
登らないと帰れない。台地の上なのだ。
チャリでなければ通れない道を選んで帰る。
すると今でも狐に化かされそうな雰囲気の木のトンネルや怪しげな川があったり、
別の意味で怪しげな廃材処理場があったりでけっこうおもしろかった。
近場でも車では味わえない発見があったりでやっぱり自転車はオモロイねえ。
この川は雨が長らく降ってなかったので干上がり断水状態。
細長い池になっていた。
見ると大きなフナが悠々と数匹泳いでいた。下りていけば掴める気がしたなあ。
昔の番組をアーカイブなどと言って平気で12年前の地域情報番組などを流している
超ローカル局の独自番組が多々ある。
その中で何故か地元を車で走るだけ~の30分番組がある。
ナレーションも無い、当時の音楽が一緒に流れてくるだけのある意味ホンマモンの
ロードムービーだ。
ぼさーっと眺めていると加古川沿いに北上し、志方方面へ廻って行く映像だったので、
その道を散歩することにした。
長男の愛車は今年通学用に買ったあさひの「まぐにふぁす」だ。
けっこう重いが中学生ならちょうど良い。ついでに財布にちょうど良い。そっちのほうが大きいが・・・
ワシのほうはオークションで格安購入できたおしゃれ自転車の代名詞「ルイガノ」のシャッセ。
自分で買ったが今は実はもっぱら妻の通勤用がメインの役割となっているのだが。
たまには自分でも乗るぞい、と。
ふらふら~と池尻橋に到着し、橋を渡り加古川右岸から河川敷きへ降りてみる。
浅瀬に小さな魚の群れが見える。掴めそうでつかめない。
水筒を忘れて来たので自販機でやたらに取水する長男。
熱中症になられては困るので買ってやる。
長男はスポーツ飲料とレモン系さっぱり飲料とリアルゴールド風味が好物。
しかしこの河川敷は大雨で水に浸かるので自販機が無い。
自分も喉が渇いたので自販機を求めて大堰の橋を渡り、上荘橋へ。
ここの大堰の橋は車止めがあるので広いけど車は渡れない。
とても自転車には気持ちの良い橋だが、左岸に渡った後、東へ降りて行くルートが無いのがつらい。
結局交通量の多い道路を北上して上荘橋まで走る。
たいした距離ではないけど横をダンプやトラックも走るし歩道は無いし。
中学一年坊主を連れ歩くおっさんとしては非常に気を使うのだ。
危ないので土手を降り八幡・厄神方面へ。
車で近くは通るけどチャリだとどんどん村のなかへ入っていけるのが楽しい。
このあたりは死んだワシの祖母の生まれ故郷なので、知らないけれど懐かしい気がするなあ。
昔はここから我が家まで歩いて嫁入りしたらしい。
たまに実家に戻り、帰りが遅くなった時に、厄神近くで狐にばかされたことがあると祖母が言ってたのを思い出すなあ。
それくらい寂しい道のりであったらしい。
確かにワシが小学生の頃、遠足でよく厄神へ行ったことがあった。
夜は怖いだろうなーと思える不気味さが道中にあったのを思い出す。
今はそんな狭い道にさえアスファルトが敷かれて不気味さなど微塵もないが。
自転車を走らせていると自販機がワッショイワッショイ行く手に現れてくる。
さっき飲んだわバカたれ!などと言いつつ意味不明な冗談や物マネをしながら2人で走る。
まあこういう無意味そうな時間がなんだか我ら親子にとって良いのだろうなぁ
長男は、「父ちゃん、暇やしチャリのってどっか行こ!」
などと誘ってくる。
少なくとも今の長男にはこれが楽しい時間であると推察できる。
ワシ自身も楽しいのでこの先振り返ったときに彼の思い出の一つになればよいナと思ったりする。
汗をかきかき父ちゃんとこの辺うろついたなあ、
などど思いいだしてくれるとワシも死んでからうかばれた気がするだろう。
さてここからどこへ行くか?
ワシのLIFEゲージはあからさまにMAX値が低いのでよそ様の自転車乗りの人々のように遠くへは行けない。
なので、手短にさっきから名前の出ている厄神さん、つまりこの辺の厄除け八幡宮へ行ってみた。
正式には宗佐厄神八幡神社というらしい。
ここにも幼い頃の思い出がある。
毎年冬に厄神さんに出店がイッパイ並ぶ日がある
HPによると2月の厄除け大祭らしい。
子供には行事など関係なく、とにかくお店がいっぱい並ぶと嬉しいのだ。
田舎育ちの少年ワシにとっては、たくさんのお店があった、ゴージャスな祭りだった。
両親に連れられて歩いていると参道の角になんだかボヤ~っとそこらへんだけ暗い、
けれど薄白い空間があり、何故か眼がそこにいく。
3人くらいの人が立っていた、と思う。いや1人はしゃがんでいたかな。
黄ばんだ軍服を身にまとい、不精髭を生やしていた。
何も言わない。ただそこにいるだけ。
片腕、片足を失った人たち。
今思えば傷痍軍人の人たちが生活に困り人々に恵を請うていたんだなあとわかる。
いや時期的にはかなりの年月が経っているのでどこかに人が集まることがあれば
まさに幽霊のように現れ物乞いしていただけのなかもしれない。
そういう商売の仕方になっていたのかもしれない。
しかし子供ながら場違いな雰囲気に興味をそそられてしまうんだな。
子供なのでどうしてもジジジジジィ・・・・と見てしまう。
我が父親に「あまり見るな!」と注意されたのも覚えている。
なんだか不思議な光景として記憶に残っているのである。
そんな思い出に浸りながらお参りをした。
暑いのでだれもいない。
長男におみくじを引かせてみたらなんと大吉。
あとに引くワシが連続大吉の可能性は限り無く低いと判断し、ひくのやめた。
厄除けの神さんなのでこんな掲示があった。
なんとなく知ってたがどうやら来年は厄年のようである。
元来信心深い人間ではなく長男と妻曰く、
「父ちゃんは邪鬼が取りついてるから」
となにかにつけて言われるているから厄とか全く気にしてない。
実際、京都などに寺社観光に行きますとお堂に入るのがツライ。
大きなお堂の中の空気が嫌いなのである。
みんながじっくり見ていても真っ先に出て行ってしまうので、仏様に懲らしめられ、
踏みつけられてしまっている邪鬼に違いないと家族は言うのである。
暑いので厄神をあとにして帰ることにしたが、我が家に帰るためにはどうしても坂を
登らないと帰れない。台地の上なのだ。
チャリでなければ通れない道を選んで帰る。
すると今でも狐に化かされそうな雰囲気の木のトンネルや怪しげな川があったり、
別の意味で怪しげな廃材処理場があったりでけっこうおもしろかった。
近場でも車では味わえない発見があったりでやっぱり自転車はオモロイねえ。
この川は雨が長らく降ってなかったので干上がり断水状態。
細長い池になっていた。
見ると大きなフナが悠々と数匹泳いでいた。下りていけば掴める気がしたなあ。
Posted by kenz at 17:35│Comments(0)
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